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チャールズ・モンロー (初代準男爵) : ミニ英和和英辞書
チャールズ・モンロー (初代準男爵)[だんしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [じゅん]
  1. (n,pref) level 2. apply correspondingly 3. correspond to 4. being proportionate to 5. conforming to 6. semi 7. quasi 8. associate 9. standard 10. rule 1 1. aim
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 
男爵 : [だんしゃく]
 【名詞】 1. baron 

チャールズ・モンロー (初代準男爵) : ウィキペディア日本語版
チャールズ・モンロー (初代準男爵)[だんしゃく]

初代ベアクロフツ準男爵サーチャールズ・カーマイケル・モンロー(Sir Charles Carmichael Monro, 1st Baronet of Bearcrofts, GCB, GCSI, GCMG〔「GCB」はバス勲章ナイト・グランド・クロス、「GCSI」はインドの星勲章ナイト・グランド・コマンダー、「GCMG」は聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロスの受章者であることを示す。〕、1860年6月15日 - 1929年12月7日)は、第一次世界大戦当時のイギリス陸軍の将軍、また、後のジブラルタル総督1923年 - 1929年)。
== 経歴 ==
シャーボーン・スクール (Sherborne School) からサンドハースト (Sandhurst) の王立陸軍大学 (Royal Military College) に進んだモンローは、1879年に第2歩兵連隊(2nd Regiment of Foot:1881年クィーンズ・ロイヤル連隊(Queen's Royal Regiment (West Surrey) )へ改名・現在のプリンセス・オブ・ウェールズ・ロイヤル連隊(Princess of Wales's Royal Regiment )の前身のひとつ〔 p 69〕〔PWRR連隊史 〕)の士官に任官した〔Sir Charles Monro at Oxford Dictionary of National Biography 〕。第二次ボーア戦争 (Second Boer War) に従軍し、1900年パールデベルグの戦い (Battle of Paardeberg) に参戦した〔。 1907年ダブリン第13歩兵旅団 (13th Infantry Brigade) の司令官に任じられ、1912年には第2ロンドン師団(2nd London Division:開戦後第47師団(47th (1/2nd London) Division)へ改名〔The 47th (London) Division, 1914-1919 (1922) 〕 )の司令官 (General Officer Commanding) となった〔。
第一次世界大戦が勃発すると、モンローは第2師団 (2nd Division) の司令官としてフランスへ派遣され、第一次イーペルの戦い (First Battle of Ypres) で重要な役割を果たした〔。1914年12月には、第1軍団 (I Corps) 司令官となり、1915年7月には第3軍 (Third Army) 司令官となった〔。ガリポリの戦いの後、イアン・ハミルトン将軍が地中海遠征軍 (Mediterranean Expeditionary Force) 司令長官を更迭されると、代わってチャールズ・モンローが1915年10月に後任に充てられた〔。モンローはガリポリ半島(ゲリボル半島)からの撤退を命じた〔。
1916年、モンローはフランスにいた第1軍 (British First Army) 司令官を短期間だけ務めた後、同年の遅い時期にインド最高指令官 (Commander-in-Chief, India) となった〔。インド最高指令官として、モンローはメソポタミアの戦い (Mesopotamian campaign) の指揮を執ることとなった。1916年8月1日ウィリアム・ロバートソンはモンローに、メソポタミアでは「見栄えよく展開するように (keep up a good show)」とした上で、それ以上は自重し、バグダッドを陥落させようなどとはするなと言ったとされる。ところが、これは戦争委員会 (War Committee) に加わっていたジョージ・カーゾンオースティン・チェンバレンによってひっくり返された。モンローはインドへの赴任の途上で、スタンリー・モード (Stanley Maude) が率いていた軍の状態を査察し、モンローが送った肯定的な報告を踏まえ、1916年9月18日に戦争委員会はモードに対して攻勢に出ることを承認した〔Woodward, 1998, pp118-9〕。
1923年、モンローは、ジブラルタル総督に任じられた〔。
モンローは1929年に死去し、ロンドンブロンプトン墓地 (Brompton Cemetery) に埋葬された〔Brompton Cemetery ''List of notable occupants'' 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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